晴耕雨読とは?

僕はジーンズが好きだ。
良いジーンズは、岡山で作られる。みんなが履いているリーバイスも岡山で作られている。
それというのも岡山は、元々学生服を作る工場が多く、生地を織る良いシャトル機が昔から沢山あった。良いシャトル機とは、高速であっというまに織り上げる高性能のハイテクの機械ではなく、ゆっくりムラを作りながら織る旧式の機械だ。そうやって出来たジーンズが、あのジーンズの風合いを出す。
僕がジーンズに求める風合いとは、あの50年代、60年代にアメリカで作られた(俗にヴィンテージと言う)ジーンズ。織りにはムラがあり色落ちがムラに合わせて縦に白く線のように入る。(俗に縦落ちと言う)

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ジーンズなんて頑丈で、はければいいじゃんと思うだろうが、風格があるというか、モノとしての存在感。愛着というか、大事にしたいそんな気持ちが湧いてくる。そんなジーンズを現在でも再現できる技術を持っているのが岡山のジーンズ工場なのです。

ところが、今その大事な(僕にとって)ジーンズ工場が次々と姿を消している。それというのもジーンズの価格が、どんどん安くなって、採算が合わなくなり、中国生産に変わりつつあるからだ。せっかく「ここまで、できるのか!」というほどアメリカの文化ではなくて、すでに日本の文化(こだわり)まで発展してきた(いや技術を維持、守ってきた)ジーンズ工場がなくなるなんて?

そう言えば山梨の市川の和紙工場も昭和30年代に作られた機械を大事に大切に使っていた。「この機械じゃないと和紙の風合いがでないんですよ」と、その機械の貫禄といったら本当にすごかった。傍らには、大きなスパナや油さしがあり、きっと職人さんが大事にメンテナンスをしてきたんだろう。

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良いモノ、文化を維持することは難しい。より良いモノ、便利という名目のために、改良(改変)されて、本当に大切な所が失われてしまい、文化(こだわり)が段々忘れられてしまう。全てのジーンズ工場がなくなるなんてことは、ないだろうが、僕たちは自分たちで自分の首をしめているようにしか思えない。

最後には何も大切なモノは残らないんじゃないか。
でもそんなに人は馬鹿じゃないですね。きっと気づいてくれると信じます。
「晴耕雨読」も僕の好きなジーンズのような本になってくれれば・・・。

悠々自適って、自分にとって大切な物をどれだけ心に持っているかだと思う。
この本から山梨の大切な文化の一片でも伝えることができればと思います。