やまなし探訪
鰍沢はかつて富士川舟運で栄えた街である。
川べりの国道から大柳川にそって数キロほど遡れば
十の谷が落ち合うという渓谷、源氏山に抱かれた集落がある。
かつて秘境と呼ばれていた山里、初秋の十谷。
さらに林道を辿る峠越えの道は、早川町茂倉に通じるその昔は、
早川入りの重要なルートであったという。

富士川を後に、山奥の十谷へ

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小波たゆたう富士川を車窓から
眺めながら初秋への旅が始まった

 旅の出発は鰍沢の街。富士川の流れは、今日もゆったりとした姿を見せていた。
 鰍沢は、かつて富士川舟運で栄えた街である。街の下手に船着き場があって、明治の中頃まで行き来する船で賑わった。富士橋付近ののびやかな風景は、今は古い家並も大半は撤去され整備されているが、かえってさっぱりして、かつての河岸の風情を思い浮かべるのに悪くない。富士川の夏の風物詩、南部の火祭りも市川の神明の花火ももう終わってしまったが、河原を思いのままに、幾重にも分かれた流れは、まだ夏の名残をたたえている。山の緑も夏の勢いを謳歌して、水面を照り返す陽光もまだ十分まぶしいのに、人の心はどこか去りゆく夏を感じてしまう。

 国道52線をそのまま下ると、ほどなく十谷の入口にさしかかる。鬼島、箱原と、この先は平地は急速になくなりまさに狭い富士川谷を走ることになる。十谷に向かう道は、大柳川との合流点。いかにもドライバーが立ち寄りそうな大衆食堂「角家」とガソリンスタンドがある交差点を右に曲がればよい。繰り返すカーブが次第に急勾配の坂になり、わずか数分車を走らせただけで、眼下に大柳川の流れを見下ろすようになった。堰堤を落ちる水の流れに水田に輝く黄金色。ふくよかな絵のような眺めに見とれていると、幾重にも重なった緑の山塊が威圧するかのように、行方に立ちはだかる。目指す十谷はさらに山奥、ここから数キロ先にある。

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山の懐はとても深い。
「十谷」は、深い谷が多いという意味を
十に表したことが由来と聞いた。

 国道52号線をそのまま下ると、ほどなく十谷の入口にさしかかる。鬼島、箱原と、この先は平地は急速になくなりまさに狭い富士川谷を走ることになる。十谷に向かう道は、大柳川との合流点。いかにもドライバーが立ち寄りそうな大衆食堂「角家」とガソリンスタンドがある交差点を右に曲がればよい。繰り返すカーブが次第に急勾配の坂になり、わずか数分車を走らせただけで、眼下に大柳川の流れを見下ろすようになった。堰堤を落ちる水の流れに黄金色に輝く水田。ふくよかな絵のような眺めに見とれていると、幾重にも重なった緑の山塊が威圧するかのように、行方に立ちはだかる。目指す十谷はさらに山奥、ここから数キロ先にある。

 道沿いにある「かじかの湯」は帰途に譲ったが、コース途中には、捨て難い寄り道があった。

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このまま映画のセットに使えそうな
木造の郵便局。まだ現役で活躍している。

 五開地区に至ると、小さな村にいかにも似合いそうな木造の郵便局が残っていた。昭和十六年に建てられ、今なお現役で使われている簡易郵便局。時々、珍し気に訪ねて来る人もいると、たったひとりの職員が話してくれた。バス停やJAの建物もあるこの辺が旧村の賑わいの中心だったのだろう。なかなか味わい深い雰囲気である。さらに道を左にそれ、集落のなかに入り込んだ。村で唯一の学校である五開小学校。小さな校舎からは、授業の節目を伝えるチャイムがなり、やがて「お掃除ご苦労様でした。学校がきれいになりました」と、かわいらしい声の校内放送が流れてくる。村人にも十分に聞こえているはずだ。学校も集落の大事なひとつになっているのだろう。

 道端の双体道祖神や人家はもちろん、澄んだ空気に、自動販売機や捨てられたタイヤまで、ひとつの風景として納まってしまう。集落を取り囲む田んぼでは、稲穂が一斉に頭を垂れ、どこも収穫真近の透明な輝きを放っていた。

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こんな光景に巡り会うのが旅の醍醐味。
野原で見つければただの抜け殻。
参道で見つけたそれはとても神々しい。

 思いがけぬ出会いと言えば、イヌガヤの群生地として知られる太郎坊大権現。田が切れてくるやや高台に、粗末な小祠が山を背にして佇んでいた。イヌガヤは暖地性の雌雄異株の常緑樹、多くは低木だが、境内には大木を含む数十株が自生している。季節外れの客を迎えてくれたのは、奥宮へ向かう石段を登ろうとするかのように脱ぎ捨てられた、大きな蛇の抜け殻。山の神の前では、人知れず神秘的なドラマが演じられてるのかもしれない。迷いついでに寄ってみた、思わぬ収穫であった。

 五開から鳥屋に入ると、車窓からでも見られる滝がある。ホテルの中庭にわざとらしくしつらえられた滝のように小さく見えたが、近づくとなかなかの迫力。不動滝と呼ばれる大柳川に流れ込む支流のひとつ、流れ落ちる水量はさほどないが、谷の深さは覗き込むと恐いくらい。辺りは親水公園になっていて車も停められる。秋の遅くまで気軽に楽しめそうなスポットだ。

 十谷に着くと、もう昼過ぎ。初秋の爽やかな空気が、私達を迎えてくれた。

山に籠もった、爽やかな秋の日

 十谷は標高千メートルに近い山岳の集落である。
 村を一望できる高台に登ると、さっと午後の陽光が射して来た。もう秋を感じさせる柔らかな光。まるで箱庭か鉄道模型のミニチュア集落のように、暮らしのあらゆる物がコンパクトにまとめられているかに見える。音もなく上り下りする車の列だけが、一片の絵にかすかな動きを与えていた。

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石畳が美しい十谷集落。

 十谷は江戸時代末期に既に個数九十七戸の山村をなしていたという。伝承によれば、背後にそびえる源氏山は、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光の居城跡と伝えられる。また『甲斐国誌』には、「御巣鷹山五ケ所あり、御巣鷹守役引として十五石、またそのため薪炭を自由に売ることができた」とあり、古くからの山村であったことをうかがわせる。十谷温泉として知られるようになったのは戦後のことだが、山の鉱泉は古くから湯治場として地元の人に親しまれていた。交通が今のような車中心になる以前には、十谷峠越えの山道は、早川への生活物資輸送の重要なルートであった。また富士川に沿って走る駿信往還の脇道としても知られていた。

 山仕事と商いの隆盛とともに様々な雅びな文化や文物ももたらされたに違いない。「十谷七面堂」の技巧の限りを尽くした彫刻は、そんな昔の繁栄を彷彿とさせる。「十谷の三番叟」も歴史を感じさせる伝統芸能のひとつ、那賀天神社の春の例大祭に演じられる祝舞である。舞方は、千歳・翁・黒木尉の三人からなり、これに囃子方が続く。かつて舞方は地区の長男男子に限られ、これまでずっと継承されて来たそうだ。

 車を停めたのは、村の中心にある観光駐車場。鰍沢から登って来たバスの終着地点である。十谷の楽しみは、やはり大柳川渓谷の散策とここでしか食べられない郷土食「みみ」。山奥の温泉宿にも集落のただ中の静かな佇まいにも、感動的な出会いがある。

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人気コミック「美味しんぼ」にも取り上げられた、
民家のようなたたずまいの「つくたべかん」外観

 「みみ」は、町営のふるさとの味、伝承料理の施設「つくたべかん」で、いつでも気軽に味わえ、また作り方も体験することができる。ここの特色は、ふるさとの味を「作って、食べて、感じて」頂くことだ。水田はわずかで、雑穀が主食となってきた山梨のような山国では、様々な粉食が工夫され食の主役の座を占めてきた。有名な「ほうとう」は、「うどん」や「そば」「おざら」とともに、県下の多くの地域で日常食として食べられている。しかし、「みみ」はここ十谷だけに見られるユニークな麺だ。源氏の武将が戦勝を祝った故事から祝日の行事食として集落に定着したと伝えられる。またその形が農具の「箕(み)」に似ていることから、福をすくい取る「福箕(ふくみ)」となり「みみ」に転じたとも言われる。十谷の集落では、幸福を願う元旦の朝の行事食として長く食べられてきた。

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もちもちつるりんとおいしく食べられる。
この形が箕に似ていることから「みみ」という名前がついた。

 味噌仕立ての汁に、大根、ニンジン、ゴボウに里芋・こんにゃくや季節の野菜も入れる。小麦粉を練って薄く伸ばし箕の形にした「みみ」を入れ煮込む。麺を鍋に直接入れ煮込む料理は各地に見られるが、プルンとしてなおシコシコ感のある「みみ」は最上のパスタを想わせる。客が注文してから作るから時間はかかるが、味は格別だ。しかも地元のおばちゃん達が交替で伝統の味を楽しませてくれるのはありがたい。他に知られなかったのは、それだけ十谷が、山奥の辺地であったからだろうか。

 満腹になってしまった私達は、初秋の渓谷を間近に感じながら、しばし、土蔵と板塀に囲まれた石畳の道に迷い込んでみた。おしゃれな若い女性の姿がフィットしそうな家並もある。鄙びた温泉宿か民宿に泊まって滝巡りをするもよし、日帰りならば、下界を忘れて渓流をゆっくり歩くだけでもいいかもしれない。爽やかな秋の日を満喫することができた、わずか半日の山籠り。

 十谷は思い出深い、美味しい山里である。十数年も前のこと、食文化研究家の林のり子さんとまだ素朴なままの集落を訪ねたことがあった。当時はまだ「つくたべかん」もなく、「みみ」も地元のご婦人方が手作りで接待してくれた。あの時の味は今でも忘れてはいない。山梨の魅力に気付かせてくれた小さな旅。米よりも、むしろ様々な雑穀が食べられていた風土。高低差の激しい険しい地形に棲む山住みの暮らし、他にはない暮らしぶりが、四季折々の美しさと相まって、山梨の印象的な風景になっていると繰り返し語っていたことが、ふと思い出された。

夕暮れの、街の時間にまた戻る

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心惹かれた古いトタン屋根。
また、次の旅へと誘われる。

 国道52号線まで下れば、もう早い夕暮れ時であった。
 交差点のガソリンスタンドには灯がともり、「角家」には早めの夕食をとる客の車が、もう何台か停まっていた。

 国道の流れに身を任せて走る、薄い暗闇。夜になって、再び戻ったいつもの街の時間。鰍沢名物の「國本屋」の鰻を食べたいという若いスタッフと別れて、帰途に着いた。通りかかった青柳界隈、ふと道をそれると、昔よく立ち寄った「ノアの箱舟」の灯が見えた。もう二十年にはなるのだから、店の佇まいは同じでも、経営者は代替わりしたのかも知れない。スタッフも客もすっかり変わってしまっているのが当然だろう。誰が待っているわけでもない。店内の様子を確かめると、コーヒーだけ飲んで、すぐに店を後にした。暮れてしまえば、目に見える風景も半ば幻想のベールに包まれる。こんな帰りは、ちょっと気の利いた音楽が欲しい。ジャジーなクラシックかラテンの泣かせるギター曲。ピアソラの『タンゴ組曲』なんか、ぴったりなのに。当たり障りのない沈黙だけがある。

 甲西バイパスや建設進む中部横断道など、一帯の道路は整備が進み大きく変わりつつある。いずれ、盆地の西南部のこちらが山梨の中心になっていくのだろう。鰍沢から増穂、小笠原の商店街へ。今は南アルプス市となった甲西、櫛形、白根の国道に沿った街々。思い出をたどりながら、あえて旧道を探して甲府へ向かったような気がする。

 去りゆく夏と、山里の秋をつなぐ道。過去と今をつなぐ道がある。