編集長の桃源郷家づくり日記その6

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2階のコンクリート敷き。子供部屋と寝室、ベランダになる。
僕がなぜ茶室にこだわるか。実は8年ほど前に茶杓削りにはまってしまい3年間昼も夜も布団の中までも削った。部屋中が竹であふれ、玄関を開けるとここはいったい何屋さん?状態。まだ小さかった子供は「うちの茶杓屋さんお客さんがぜんぜんこないねー」と僕を本当に茶杓屋と思っていたみたいだ。父親を見ればいつも茶杓を削っているのだからそう思うのも当たり前だ。
3年ほど削って茶杓の初個展をやった。千本ほど削った中から40本ほどが残り、並べた。最終日に不思議な雰囲気を持った夫婦がみえた。だいたいその筋の人はなんとなく分かるものだ。「小森と申します。案内状をいただきまして。どうしても見たくなり飛んできました。」
「小森さん?小森松菴の?」「はい、娘です。松菴は、5年前に亡くなりました。」なんという感激だろうか。人生の中でこんなにうれしかったことはない。小森松菴とは、茶杓を削っては近代最高と言われた大茶人である。僕が一番好きな茶杓が松菴の削ったものだった。松菴の茶杓を見なかったらこんなにも茶杓にはまっていなかっただろう。僕は図々しくもその松菴の図録に載っていた住所に僕の茶杓の写真入のDMを送っていたのだ。まさか来ていただけるとは思わっていなかった。「ほんとうに良い茶杓ですね。これをいただけますか。」小森彰子さんが選んだのは小ぶりの半分シミの入った夢という銘の入った茶杓だった。
「ママ!松菴の娘さんが来てくれた!」家に帰ってあわてて妻に報告した。「よかったねぇ・・・。」妻は本当に嬉しかったのだろう泣き出してしまった。子供がまだ小さいのに、旦那がどうなるかも分からない茶杓を3年間も削っていたのである。よく我慢していたと思う。その茶杓を夫が本当に見てもらいたい人に見てもらったのだ。その涙を見て僕の茶杓の憑き物は取れた。今はもっと自然に茶杓に迎えるようになった。何をあんなに焦っていたのだろうか。年を取っても茶杓は削れる松菴も亡くなる90歳まで削っていた。家族を泣かすわけにはいかない。あのころは茶杓しかなかった。まだ、いっぱい大切なものはある。僕はそう思うことにした。

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ギザギザ屋根が付いた。うーんますます倉庫だ。
透明グラスファイバーのスリットは何だ?

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