ヤマハのプリメインCA-2000を使って、一ヶ月が経ち、ちょっと複雑な気分の音だったが、徐々に好みの音に変わり出した。ずっと使われていなかったから、目覚めが悪かったせいもあるのだろうが、中域の音が物足りない(ガッツがない)状態だった。あれこれ思いつくことをやってみて、今はなんとか不満無く鳴ってくれている。
まず、ツィーターにコンデンサーをかまして低域をカットした。恐ろしいことにそのままネットワークを付けずにパラレルでフルレンジ38cm(フルレンジでも使えるウファーと言うべきか)のD130から引っ張っていたのです。よくこわれなかったものだ。晴耕雨読で知り合った矢崎さん(ウエスタンの300Bを使った真空管アンプづくりの達人)が、そりゃまずいよとコンデンサーをいただきました。
次に、あまり繊細な音もどうかと思って、スピーカーコードをためしに10m1000円のただのACコードに変えてみた。音が太くなった?気がする。特にビル・エバンスのマイ・フィリッシュ・ハートの出だしのブラシの音がザラザラッと太くなった。ヴィレッジヴァンガードのその時の雰囲気がぐっと出てきた。
その次にアンプに2系統スピーカー端子があるのに気がついて(盲点でした)AをD130にBをツィーターに繋いでアンプの出力をA+Bで鳴らしてみた。中域が前に出てきた。サキコロのソニーロリンズのサックスのB面最後の曲の吹き出しが迫力を増した?気がする。あくまでも音の調子はその時の自分の気分というのもあり、変更前と変更後で同じレコードで比べていないのでアテにはなりません。でもサキコロは久しく聴いていなかったので(特にB面)思わずのけ反ってしまった。やっぱり名盤と言われることはあります。このサックスの音は凄い。
あれこれの手は全て思いつきで理論は全然ない。でもとにかくレコードを聴いてそれだけ感動したのだから、まあいいかと納得しました。
ただ単に耳が慣れてきただけかもしれないが、オーディオの機器って、その人が好きで聴く音楽に徐々に染まっていくものじゃないかと最近思うのです。

コンデンサーをツイーターのコードに付けた。大を1個、小を1個。
何パターンか試して、今は大1個に落ち着きました。

エバンスのワルツ・フォー・デビーこのヴィレッジ・ヴァンガードの店内の雰囲気がとっても素敵だ。
笑い声やグラスの氷の音がそのまんま聴こえる。3枚ぐらい同じCDを持っているのだが、
1番最初に発売された盤と3枚組のコンプリート盤が一番しっくりくる。

ロリンズのサキソフォン・コロッサス。A面トップのセント・トーマスはもちろん凄いけどB面最後のブルー・セヴンの淡々とした感じが素敵。僕が持っているのは、国内版のアナログのグリーンレーベルだけど、CDよりも断然音が良い。CDのサキコロはなんであんなに平面的?
借り物の真空管アンプのラックスSQ38の調子が悪くなって、それでもだましだまし使っていたのだが・・・ついに。
このところ、電源を入れると右のスピーカーのウーファーが、ぼこっぼこっ音をたてやばいかなと思っていたが、最近は、レコードをかけてしばらくすると突然ウォーンとうなりだし大音量になってしまう。
調子の良い時は、とてもつややかな良い音を聴かしてくれるのだけど、さすがにこれでは安心して音楽を聴いていられない。家族からも何とかしてくださいと言われてしまった。
取りあえず安心して聴けるよう、間に合わせの安いアンプがないか物色していたら、たまたまリサイクルショップで懐かしいヤマハのプリメインアンプが、僕ににっこり微笑んでいた。
当時70年代このアンプとサンスイの07シリーズが登場して、清楚なレディの佇まいのヤマハ、マットブラックの精悍なサンスイとどちらを購入するか悩んだものだ。音の傾向も外観のイメージどおりだったと思う。当時、予算の関係で僕はサンスイの607をチョイスしたのだった。その高値の花だったヤマハのCA-2000が僕に微笑んでいるのだ。しかも何でこんなに安いのという値段である。
また古いアンプを買うのはどうかと思ったが、僕は日常聴くのがレコードなので、アンプはフォノイコライザーがちゃんとしてなければならない。最近の新しいアンプは、メインソースがCDなんでフォノが付いていないことも多く、付いていてもまあ取りあえず聴けますよ程度で設計も充実していない。でもこの時代のアンプは、まだCDは登場していないので音を決めるフォノイコライザーにかなりこだわっていたのだ。しかもMCカートリッジ用の入力も付いている。(レコードを知らないひとのために・・・レコードプレーヤーのカートリッジの針が拾う信号はとっても小さいのです。MC型は特に小さい。それをフォノイコライザーが増幅してメインアンプに送ります)ほとんど一目惚れ状態で、クラクラしながら「これ下さい」言ってしまった。
こうしてその貴婦人は、我が家にやってきたのだが、その音はというと、まるでタイムトリップをしたみたいに70年代のあの懐かしい音が聴こえてきた。学生のころ友達がオーディオを揃えたと言って聴かされたあの時の情景を思い出した。そう僕らはこの音を聴いて育ってきたのだ。「うーんフュージョンが似合いそう」ちょっと複雑な気分で納得した僕だった。

懐かしの貴婦人YAMAHA CA-2000 デザイン的に見て日本を代表するアンプだと思う。今の日本のアンプは、みんな同じ様で区別がつかない。この暮れにピュアオーディオにYAMAHAが復活!しかも2000の型番で!これも何かの縁でしょうかと思ってしまう。
うちの下の娘が作ったサンタの折り紙があちらこちらに。かわいい・・・
気がつけば、70年代のアンプが3台に・・・きちんと稼動するのは、1台だけだけど。レコードはエルビン・ジョーンズのインパルス版のHEAVY SOUNDS タバコモクモクでかっこいいジャケット。1曲エルビンが素朴なギターを弾いています。
高校の同級生が調布でギャラリー兼カフェ「niwa-coya」というお店をやっている。春の茶杓展の時に来てくれて、秋に僕の茶杓と陶芸の真木君といっしょに展覧会をやってくれないかと言われた。丁度僕の家が立ち上がる頃で、そんなこんなで毎日忙しくしている間に月日がたち、僕と真木君の展覧会の案内が入ったDMが作られてきた。やっぱりやるんだ・・・後一ヶ月で大丈夫だろうか。
新しい家のスピーカーの前に畳を引いて茶杓を削る準備に入る。物置から取っておいた竹を引っ張り出し、いつでも茶杓を削れるようにした。不思議なもので、しばらく削っていなかったのだが竹を取ると自然に手が動く、やりだしたらのめりこむのが常で、仕事から帰ってくると削り、休みの日も朝から削り続ける。僕が歩いた後は、竹の削りかすが散らばり奥さんに何度も怒られた。しまいにデパートで職人さんが、手箒を作っていたから買ってきましたと渡された。これがなかなか優れもので、やっぱり昔の物は良くできている。重宝しています。ちょっと掃除をするのも気持ちよくできなきゃ、やらないものね。
なんとか展覧会の前日、二十本茶杓を選び出すことができた。削ったのはもっとだけど、筒と揃わなかったりでこの数になりました。興味があったら見に来てください。彼が手作りで造ったお店は、あたたかい雰囲気で気持ちよく、とっても良い展示になったと思います。
調布の京王線の仙川駅の近所です。調布市若葉町1-28-28 03-5315-2848
http://www.niwa-coya.com
会期は12月8日まで11:00〜18:00(日、月定休)です。
茶杓を並べ終わって。いつものお茶と違った空間でも不思議と茶杓がなじんでいます。
同級生の友達がふつうの住宅を改造して仕上げた。
この部屋はもともと庭だったところを広げたみたい。
窓にかわいい柄のなべ返しがぶらさがっている。これは売り物。
「niwa-coya」の入口。
お待たせしました。ついに我が家が完成しました。
前回完成間際のブログを更新して1ヶ月その間に細かい内装や色塗り、収まりを決めて。この間がそんなに見た目は変わっていないのですが、結構長かった。早く住みたいのでまだかまだかと気はあせるが、なかなか引き渡しにはならない。そう新車が納車される時みたいな感じかな。それも楽しみのひとつとして、後半は開き直って念願だった新居に配置するスピーカー造りに励んだりしました。連休前の4月25日に引き渡しとなり、その夜中、自作のスピーカーを仮住まいのアパートから運び出し、さっそく鳴らしてみた。今までアパートの中でフラストレーションがたまっていたので久々に大きな音で聞いてみた。まだ一つしか出来ていなかったので、モノラルで聞いたのだが。その時の音は忘れないだろう。設計の田中先生の思い、施行してくれた磯野さんの思い、家族の思い、応援してくれたみんなの思い、そしてこのスピーカーユニットを完成させて、自殺したジェームス・B・ランシングの思い、がその音から伝わってきた。新しい我が家に響く音を聞きながらみんなに感謝をしたい。家も物、スピーカーも物、茶杓も物・・・。物を生み出す情熱と力は本当に素敵だと思う。

我が家の玄関です。青と赤と黄色でアクセントを。
色は、DICのフランスの伝統色からセレクト
もちろんペンキで塗りました。

実は右側のパネルは茶室の窓だったんです。

茶室は空間と窓の大きさ位置は利休の茶室「待庵」と同じ。もちろん二畳、隅炉です。
材質は全然違うけどね。ベニヤと鉄骨です。

1階リビングとキッチン。壁は松合板ベニヤ、床もベニヤ、鉄骨も丸出し。
できるだけ素材そのものを見せたかった。

趣味の棚。僕の好きなものができるだけ入るようにした。
はしごで本を読んでいるのは、下の娘。
自作の平面バッフルに収まったJBLのD130。
部屋に合わして銀色に塗りました。良い音です。

2階の子供部屋の窓から吹き抜けのリビングを見る。
いちおうこれで家づくり日記は終わり。でもこれから自分の手で少しずつ完成させていくのだから、まだまだかな。
家を建てようと思い立って丸1年。色々なことがありました。くわしくは次号の本誌で発表します。
いよいよ完成間近となってきました。桃の花も咲き始め桃源郷家づくりも4月中に終わりかと思ったら、この家はここから自分で手を入れていかなければならないのです。育てる家と言うのでしょうか。そのベースを作っていただいたというわけです。とにかく引っ越しまではあと1ヶ月。がんばらなければ。でも3月は忙しかった。晴耕雨読は締め切り、通常の仕事も年度末で大詰め、その上茶杓展が重なって・・・
しかしあえてこの時期に茶杓展をやって本当に良かった。はじまる前は本当にできるだろうか。茶杓がちゃんと揃えられるだろうか不安だったが、がんばれば何とかなるものです。会が近づくにつれ辛いながらも毎日が楽しく、茶杓が僕の励みになりました。そんな僕を家族みんなも応援してくれて、友だちも、会社の人も何かと手伝ってくれたことに感謝しています。
それにこの会を通じて茶杓という限られた世界に多くの人が興味を持っていただけたことがとってもうれしかった。ただの竹ベラにどうしてこんなに深い世界があるのか、茶杓の良さは品と格からなっている。竹という同じものがひとつとしてない自然のものを小刀一本で削っていく、そこに隠しようのない自分がさらけだされる。デッサンに近いというのだろうか。削った線がそのまま形をなして後戻りができない潔さ。そこが茶杓の素晴らしいところだろう。何よりもお茶をやっている人だけではなく、若い人や、英国人が僕の茶杓を求めてくれて、僕の茶杓にこめられた気持ちが少しは伝わったのかなと思う。

田中先生と工務店の磯野さんと茶室の炉周りついて打ち合わせをする僕。
手前のランダムな穴が茶室の窓と躙り口になる。

奥さんがどうしても付けてほしいと言ったベランダ。
透明なグラスファィバーの屋根がベランダと吹き抜けに光を入れる。
いつのまにかこんな仕様になっていてビックリ。さすが田中先生。

基礎の時は狭ーいと思ったができてみると意外に大きいから不思議。
本当に倉庫みたいでとっても満足。
茶杓展を新宿京王でやってます。
近代の大茶人 小森松菴の遺作展にいっしょに茶杓を出品することになりました。
2000年に初個展をやって、その後こつこつ削った茶杓を30本ぐらい並べます。
茶杓という小さい竹べらに自然と個が一体になった素晴らしい世界があるということが、
できるだけ多くの人に伝わればと思います。
3月27日まで開催してます。

樋竹の胡麻です。胡麻が深い樋の中に渦をまいているようなので奥入瀬とつけました。
裏の削りがとっても自由に削れた杓です。

白竹のとってもきれいな樋竹です。すかっと抜けた一本です。

煤竹の小振りな杓。模様がバンビのようなのでこの銘に。蟻腰が強いので裏は子鹿の足のように磨いてあります。

上半分が雨降り、下半分が晴れ。きれいなシミ竹です。思わず晴耕雨読という銘にしてしまいました。

巻頭特集は、舞踏家で山田洋次監督「たそがれ清兵衛」で話題になった
俳優でもある田中泯さん。
甲斐市芦沢の地を開拓してお茶づくりに励む泯さんの素顔に迫ります。
取材中どこに行くにも泯さんの後をついて来る子猫のサクラといっしょに
表紙の写真を撮らしていただきました。
限られたページ数で、色々なこだわりの
ライフスタイルを実践している人たちを紹介したくて、
かなり詰め込みました。ちょっと読みごたえがあるかもしれません。
でも最近「見る」ばかりで「読む」という雑誌が少ないから、
あえてこのスタイルこだわります。
ちょっと手元に置いといて、ポッと開いた時間にも読んでいただければと思います。

2階のコンクリート敷き。子供部屋と寝室、ベランダになる。
僕がなぜ茶室にこだわるか。実は8年ほど前に茶杓削りにはまってしまい3年間昼も夜も布団の中までも削った。部屋中が竹であふれ、玄関を開けるとここはいったい何屋さん?状態。まだ小さかった子供は「うちの茶杓屋さんお客さんがぜんぜんこないねー」と僕を本当に茶杓屋と思っていたみたいだ。父親を見ればいつも茶杓を削っているのだからそう思うのも当たり前だ。
3年ほど削って茶杓の初個展をやった。千本ほど削った中から40本ほどが残り、並べた。最終日に不思議な雰囲気を持った夫婦がみえた。だいたいその筋の人はなんとなく分かるものだ。「小森と申します。案内状をいただきまして。どうしても見たくなり飛んできました。」
「小森さん?小森松菴の?」「はい、娘です。松菴は、5年前に亡くなりました。」なんという感激だろうか。人生の中でこんなにうれしかったことはない。小森松菴とは、茶杓を削っては近代最高と言われた大茶人である。僕が一番好きな茶杓が松菴の削ったものだった。松菴の茶杓を見なかったらこんなにも茶杓にはまっていなかっただろう。僕は図々しくもその松菴の図録に載っていた住所に僕の茶杓の写真入のDMを送っていたのだ。まさか来ていただけるとは思わっていなかった。「ほんとうに良い茶杓ですね。これをいただけますか。」小森彰子さんが選んだのは小ぶりの半分シミの入った夢という銘の入った茶杓だった。
「ママ!松菴の娘さんが来てくれた!」家に帰ってあわてて妻に報告した。「よかったねぇ・・・。」妻は本当に嬉しかったのだろう泣き出してしまった。子供がまだ小さいのに、旦那がどうなるかも分からない茶杓を3年間も削っていたのである。よく我慢していたと思う。その茶杓を夫が本当に見てもらいたい人に見てもらったのだ。その涙を見て僕の茶杓の憑き物は取れた。今はもっと自然に茶杓に迎えるようになった。何をあんなに焦っていたのだろうか。年を取っても茶杓は削れる松菴も亡くなる90歳まで削っていた。家族を泣かすわけにはいかない。あのころは茶杓しかなかった。まだ、いっぱい大切なものはある。僕はそう思うことにした。

ギザギザ屋根が付いた。うーんますます倉庫だ。
透明グラスファイバーのスリットは何だ?
待ちに待った鉄骨が建ちました。
こうやって柱が建ってみると意外と大きいじゃん。と思ってしまうから不思議。
でもスペースは、とてもコンパクトなんだけどね。
平面と立体では受ける印象はまるで違うものです。
さて、一番奥の1階が茶室となるのだが、そろそろ、細かい仕上げの打ち合わせに入った。
床柱をどうするか?利休の待庵は、細めの杉の丸太の面をざくっと面取りした
シンプルで厳しい趣きの物。
とても同じように攻められそうもない。真似てうまくいくわけがない。
周りの材にしたってまるで違う物をつかっている。空間だけ待庵と同じなのだ。
「先生、思い切って鉄にしましょう!塗装も何もしないそのまんまの鉄。
ほっとけば、錆びてしまうような。」
「・・・・おもしろい!やってみますか。」
普通こんなことを言い出すと設計の先生は否定するのだけど、
なぜかこういうとこは気が合うのですね。田中先生とは。
あきれているのは、隣で聞いている妻ばかり。
本当にどんな茶室になるんだろう。
わーい!基礎ができたぞ!
昨年の暮れなんとか基礎が完成しました。本当は年内中に鉄骨が上がる予定だったけど鉄骨屋さんが遅れて1月中旬かな?我が家は鉄筋なので基礎はベタ基礎です。恐ろしいほどの鉄筋とコンクリートが地下1mの中に詰まっています。基礎屋さんが言っていたけど「こんなすごい基礎は初めてだね。孫の代になって取り壊しする時、なんてことをしてくれたんだい。と言われちまうよ。こりゃ、ちょっとやそっとじゃ壊せないよ」おいおい、どうして孫の代に取り壊さないといけないのか!まったく今の住宅は、いったい何年保たすように作っているのか?
設計の田中先生が言うには、基礎全体で支える仕組みになっているとのこと、我が家は中柱が一本もない箱だからこうなるのかな?基礎のことはくわしく聞いてなかったので、僕もびっくりしました。
でもせっかく作るのだから、100年は保ってもらいたいと思うのだけど・・・

やっとできた基礎の上で娘二人がポーズ!
それにしても狭い!なぜ基礎だけだと小さく見えるのか?本当に暮らせるのか?

